大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和59年(オ)1416号 判決 1987年11月05日

上告人 西澤芳睦 ほか一名

被上告人 国

訴訟代理人 篠原安彦

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

一  上告代理人武田芳彦、同和田清二の上告理由について

国税犯則取締法一四条による通告は、証拠資料が相当な調査に基づいて収集されたものであり、これらの証拠資料を総合勘案して、通告時に犯則の心証を得たことにつき合理性があると認められる場合には、のちに通告に係る犯則事実が存在しないものと判断されたとしても、違法、無効とされるものではないと解するのが相当である。右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、独自の見解に基づき、又は原判決を正解しないでこれを論難するものであつて、採用することができない。

二  同二及び三について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

三  その余の上告理由について

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、関東信越国税局長としては、本件通告に係る犯則事実のうち不存在とされた分を除外しても、その余の犯則事実に対する処断刑たる罰金額の範囲内で上告人らに対して通告すべき罰金相当額を定め得るのであるから、その裁量の範囲内である本件罰金相当額等の納付が法律上の原因を欠くことにはならないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。右違法のあることを前提とする所論違憲の主張はその前提を欠く。論旨は、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 大内恒夫 角田禮次郎 高島益郎 佐藤哲郎 四ツ谷巖)

上告理由

一 通告時に犯則の心証を得た客観的合理性があれば、通告処分は有効であるという判断には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法解釈の誤りがある。

原判決は「国税局長等が犯則の心証を得ることがもつともであるという客観的事情が存することが通告処分の実質的要件である」「通告の時において調査の結果に照らして犯則の心証を得たことに客観的合理性があれば犯則事実が存在しなかつたとしても通告処分は適法というべきである」とした。

本来通告は、犯則を前提とするものであるにもかかわらず、この前提事実の存否とは全く独立させ、且つ、無関係に「心証の合理性」を要件とするものである。また「調査の結果に照らして」犯則の心証を得れば足るという判示からすると、調査の方法・範囲・程度について、その是非を問わないまま、調査官の採証方法・程度・範囲を全て是認することを前提とするということになる。これら解釈は、通告の全てを救済し「維持するという解釈にほかならない。犯則事実が不存在である場合には通告も無効と解すべきである。

原判決には、法解釈の誤り、従つて法令の違背がある。この解釈が判決に影響を及ぼすことも明白である。

二 原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな採証法則の誤りがある。

原判決は、その七丁裏以下で、「通告の旨を履行しなければ検察官に告発せざるを得ないこと、通告の旨を履行しても課税処分について不服申立をし、それが容れられればその分の物品税は返還されることを告げられ……不服申が容れられれば支払つた金員はすべて返還されると思い込み」と認定している。ところが、福田が誤つた教示をしたことは、上告人西沢が明白に供述していること、調査中に作成された甲第五号証の存在(原判決は、九丁表で、本件調査の過程において整理たんす及び下駄箱に栃の突板を使用している旨の申出が西沢から出された事実はなかつたと判示しているが、この五号証には明白に突板の存在が記載されているし、これも西沢の申出があつたからこそ記載されたものである)、罰金相当額の納付の経過からも裏づけられるところである。加えて、福田が反対尋問中に、これを肯定しているのである。再主尋問で再びこれを翻したに過ぎない。右客観的事実からみても上告人の供述を信用すべきところをこれを排斥し、福田の証言を信用するのは、採証の法則違反、従つて、法令の違背に該り、これが判決に影響を及ぼすことも明白である。

三 税金ほ脱の故意の認定について、論理則・経験則違反がある。

単一の、連続した犯意に基づいてなされたとされた税金のほ脱について、上告人西沢についてはそのほ脱税額の八三・二五パーセントが、ほ脱ではないとされた。その余の数パーセントについても、「裁決によつても維持できる額」という新しい思いつきの操作をへて、たまたま維持できたものに過ぎない。一連の行為の中ではじめて認められる故意について、その九割にも及んだ客観的行為が不存在とされた場合にはその余についても故意はなかつたとするのが論理的であり、且つ経験則にも合致する。たまたまに、それも特例税率によつて、ようやく維持できた極少の税額未納分の存在によつてほ脱とすることは、ほ脱故意の認定についての論理則・経験則違反があり、法令違背に当たる。これが判決に影響を及ぼすことも明白である。

四 原判決には罪刑の解釈について、憲法違反がある。

原判決は、その一一丁裏で、一審判決別表「裁決後の額に対応する」欄記載の分が犯則事実として存在したことになり(これが法令違背であることは右に述べたが)、ほ脱額が上告人西沢は二六箇月、二二万二、〇〇〇円、上告人会社が五箇月、三万二、三〇〇円であつて、処断刑は前者は一、三〇〇万円以下、後者は二五〇万円以下とした。この解釈はほ脱をしたとされた月数に単純に五〇万円を乗じた額を処断刑とするものである。これは、根拠のない解釈であるばかりか憲法三一条に定めた適正手続きにも違反する。憲法三一条は手続の適正に限定されず実体要件の適正、従つて、罪刑の均衡をも含めたものと解すべきである。ほ脱額の五八倍あるいは七八倍を超える刑は、この均衡を著しくかけ離れるものである。原判決はほ脱に関する法令の解釈を誤り、原判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背をしたと同時に、その解釈は憲法にも違反するものである。

五 原判決は理由が不備である。

原判決は、一二丁表二行目で、「処断刑たる罰金額の範囲内で第一審原告らに対して通告すべき罰金相当額を定め得るのでありその裁量の範囲内である本件罰金相当額等の納付が……」と認定している。ところで一審判決は裁量の範囲外にある部分も認めたうえで、一部上告人西沢の勝訴を認めていた。原判決は、これを全て覆えしたのであるが、それにもかかわらず右判示のとおりに、「なぜ裁量の範囲内になるのか」については全く判断をしていない。これは明らかな理由不備である。

六 原判決は裁判所の裁量に当たつて、その方法の解釈を誤つたものである。

原判決は、上告人が右五項で述べた趣旨とは異なり、自由裁量の判断を脱漏したのではなく、先に述べた解釈に従つた「処断刑の範囲内であれば、全て自由裁量である」と判断したとも考えられる。しかし、だとすると、これは法の解釈を誤るものである。即ち、通告の際の状況をみると上告人西沢に対しては、ほ脱額を一三一万四、八〇〇円と認めたうえで一〇五万一、〇〇〇円を通告し、上告人会社には六〇万二、〇〇〇円のほ脱をしたと認めたうえで六万円の通告をしたものである。ほ脱額より通告額が少ないのである。これが通告当時の裁量であつたわけである。ところが、上告人西沢にあつては右ほ脱とされた額の八三・二五パーセン下、上告人会社にあつては九四・六三パーセントがほ脱ではなかつたものである。これにもかかわらず、従前の通告額をそのまま裁量の範囲内であるものとして維持することは、この裁量権についての解釈を誤るものであり法令違背に当たるのである。加えて、原判決によると、従前の通告額の十余倍あるいは上告人会社にあつては四一倍にしても裁量内というのである。

そもそも、原判決の判断によれば、法定刑の範囲内であれば科刑も自由裁量ということにも均しくなる。これが、判決に影響を及ぼす誤りであることは明白である。

七 原判決は不当利得に関する法解釈を誤るものである。

原判決は、その一一丁以下で不当利得の存否に付いて判断しているものの、法律上の原因がないといえるためには、通告が無効にならなければならないとする。しかし、不利得の制度は、結局のところ、社会常識的に不当と評価される利得を本来帰属すべき者に帰せしめ正義・公平感を満足させようというものである。そして、これは、民法の他の諸規定では実現されない利益帰属の不当感を除去するという面で最後の(補充的)救済手段である。これよりすると、通告が仮に有効であつても、社会正義に反する事実・不公平があつた場合には、この事実を除去するための利得返還請求が認められてしかるべきである。反則事実の存在しないことが判明したときは、通告に従つて納付した金員は、社会正義に反した不当な利得になると解すべきである。

原判決は、給付による不当利得の存否を、その給付原因の無効か否かで律しようとするものであつて、この制度の解釈を誤つたものである。この解釈の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背にあたる。

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